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歴史

背景テクスチャ
年表
  • 創業 旧本店 開店

    1984年2月
  • 大野城店 開店

    1993年2月
  • 2号店 開店

    1994年2月
  • 現本店 開店

    2001年2月
  • 赤坂店 開店

    2007年6月
  • 博多店 開店

    2020年12月
  • 本店
    本店
  • 大野城店
    大野城店
  • 2号店
    2号店
これまでを振り返って

山中 私の兄が1984年に大橋で創業して、3年後ぐらいに私も店に呼ばれましてね。
その頃は、まだ旧本店の1店舗しかなくて、そこまでお客さまも多くはなかったです。
一軒家で上が住居でね、徐々にお客さまが増えてきたら2階も改装してお店にしたんです。

冨永 私は、幸一さんが入られて、さらに数年後に入りました。
佐賀から大学進学のために福岡に出てきて、初めての一人暮らしで右も左もわからない状態で、アルバイトの面接を受けにお邪魔したのが最初でした。

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山中 なぜ、もつ鍋店でアルバイトをしようと思ったの?

冨永 10代で食べ盛りでしたから、おいしいものが食べられそうなところに惹かれました(笑)。
やま中が人気店ということも知らず、もつ鍋も食べたことがなかったぐらい何も知らずに飛び込んだんです。

山中 その頃はもうずいぶん多くのお客さまにいらしていただいて、慌ただしかった頃ですね。

冨永 そうですね。
幸一さんは、こうして普段話している時は物腰柔らかで穏やかな印象ですが、忙しい時には本当に無駄なくテキパキと動かれるのを見て、第一印象から「すごいなぁ」と憧れの存在でした。
学生時代は、ホールスタッフだったのでキッチンで一緒に働く機会はありませんでしたが、いつも勉強させていただいていました。

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週に一度、同じ鍋の
“もつ”をつついて

山中 どんどん店舗も増えていったけれど、それぞれの店はこじんまりとしてアットホームな雰囲気で、そこは今と変わらないかな。

冨永 はい、あまりにアットホームなので、最初に入った時は馴染めるかな?と戸惑ったものですが、数日もすればすっかり仲良くなれました。
当時は、週に1回「もつ会」を開いてくださって、僕らアルバイトスタッフも社員の皆さんも、幸一さんも一緒に卓を囲んで店のもつをいただく機会がありました。楽しみでしたね。

山中 ありましたね。
忙しい中でとにかく目まぐるしく1日1日が過ぎて行って、仕事中は時に厳しい言葉が飛び交うこともあるけれど、そうやって同じ釜の飯を食うというか、同じ鍋の“もつ”をつつくことで仲間になっていくような感覚を持てましたね。

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時代は変わっても
揺るがない
「やま中」らしさ

山中 冨永さんは、アルバイトなのに新店の立ち上げを手伝ってもらったりして期待されていたよね。

冨永 あれよあれよと店の人気に火が付き、メディアでも福岡のもつ鍋の代表格のような取り上げられ方をしていただいて、どんどんお客さまが増えていきました。
店も増え、人手も足らず、目の前のことを一生懸命にこなすばかりでした。

山中 私も同じです。
振り返ってみなさんから褒めていただくと、歴史が長くなっていて、老舗の仲間入りをしたのかなと思える時もありますが、基本的にはとにかく目の前のお客さまに喜んでいただくためにできることをただ必死にやってきました。

冨永 私はホールとキッチンと両方経験しながら、「やま中」という店がいかにお客さまのことを思って一つひとつの挑戦をしてきたかということを肌で感じ取ってきました。
そして、長年来てくださっているお客さまがそれをわかってくださっていることもうれしく思います。

山中 例えば、2時間制というルールをつくったのも、お客さまをあまりにも長く外でお待たせするのが申し訳ないという気持ちからでした。
週末に予約を入れようとすると2〜3カ月待ちで、せっかく来てくださったのになかなか入っていただけないなんてこともあって、できるだけ多くのお客さまに快適にと考えて時間を区切らせていただくことにしました。

冨永 熱の通りが良いすき焼き鍋を使うのも、炊き上がった食べ頃の状態でお出しするのも、おなかを空かせたお客さまにできるだけ早く出すためだと聞いて「なるほど」と感動したものです。
私は「やま中」しか知らなかったのでそれが当たり前だと思っていましたが、なかなかそういう店はないとお客さまから褒めていただくたびにこの店で働ける誇りを感じています。

山中 時代とともに変わっていくものもあるけれど、兄のつくった鍋の味や「やま中」らしいところは私たちがしっかりと守っていきたいね。

冨永 本当にそう思います。

山中 冨永さんをはじめ、多くのスタッフが支えてくれました。
今でも「○十年前にアルバイトをしていました。
子どもを連れて食べに行きます」なんて連絡はしょっちゅうで、またこうして故郷のように戻って来てくれるのは本当にうれしいなと感じています。

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時代に寄り添いながら
新しい魅力も
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山中 ただ守るばかりが「やま中」らしさではなく、時代に合わせて攻めていけるのも歴史と伝統を持つ私たちならではです。

冨永 赤坂店ができた時は、私たちも驚きましたね。
前オーナーの奥さまが空間にしっかりと思いを込めて、建築家の方と話し合いながらつくり上げた店は、それまでのもつ鍋店のイメージとはまったく違う雰囲気でした。

山中 洋館のようなとても洗練された空間で、大人が非日常を楽しめる場所ですよね。

冨永 私はこの店のオープン時から、いわゆる料理長という立場を任されたので、最初は眠れないぐらいのプレッシャーでした。
学生時代は、Tシャツと破れたジーンズにエプロンというスタイルだったのが、赤坂店ではまるでホテルか高級レストランのような制服でお客さまをおもてなしすることになり、背筋が伸びる思いでしたね。

山中 お客さまも大橋の頃のファミリー層からビジネス層が増えて、ガラッと変わりましたね。

冨永 はい、店を美しく保つことで、それまではお見えにならなかったような女性同士のお客さまも増えました。
だけど、あくまでも「やま中」の魅力は鍋のおいしさ。
それを求めていらっしゃるんだという軸をしっかり持って、目の前のお客さまに喜んでいただくためにはという変わらぬ視点で臨みました。

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伝統というバトンを、
新しい世代に
渡していくために

山中 これまではとにかく前を向いて一生懸命走っている間にここまでたどり着いたという感覚です。
狂牛病やコロナ禍など、いくら店のみんなががんばってもどうしようもないような苦難もありました。
だけど、しっかりと私たちならではの味を守ることで乗り越えてきました。
これからもこの伝統というバトンをしっかりと受け継いでいきたいですね。

冨永 はい、学生時代から入った私も、今は料理長という立場で若い世代に伝えていく役目を担っています。
もつ鍋のレシピには数字ではかれる部分もありますが、数字では伝えられないものもたくさんあります。
これまでの歴史をしっかりと見守って来た私だからこそ伝えられる、前オーナーや幸一さんから受け取ったお店への思い、お客さまに愛されてきた店としてのプライドもちゃんと受け継ぎ、100年・200年続くような店にしていきたいです。